4.歴史民俗資料館展示リニューアルと都市観光施策について
質問項目最後の歴史民俗資料館展示リニューアルと都市観光施策について質問させていただきます。
まちづくりは人づくりで、そして人づくりには郷土愛というものが必要不可欠だと考えております。今なくなってしまいましたが、中野区立仲町小学校、私が通っていた小学校の同級生が、島根県の隠岐島、人口3,000人ぐらいの島なんですが、そこで、いわゆるUターン、Iターンと言われる人口還流現象をつくるためにさまざまな試みをしておりました。その一つとして、地元の島の高校生に、島には大学がないので、本土に大学に行くという際に、それぞれ島の高校生たちをその島の観光大使に任命して、夏休みに自分の島に帰ってくるときに、その友達を連れて帰ってくるんだって、それが観光として循環していくんだということで、それぞれを観光大使にするというような試みがあります。そういったことをやるには、やっぱり郷土愛がなければできないということです。
また、そのほかにもインターネットができれば、できる仕事の方々に関しては移住してもらうとか、そういったことによりまして、その隠岐島の人口が単純減少していたんですけれども、横ばいもしくは増加する時期もあるというような状況になってきました。郷土愛がまちをつくっていくというような事例であります。
歴史民俗資料館リニューアルにおきましては、淡々と中野区の歴史を学ぶ場所とするだけではなくて、中野区の小学生が中野に誇りを持てる、中野に生まれてよかった、そんな郷土愛が生まれる場所にしていただきたいということで質問させていただきます。まず、リニューアルということなので、現況についてお伺いします。常設展示のリニューアルということですが、現在何が展示されているのか、確認で御質問させていただきます。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 歴史民俗資料館の常設展示室におきましては、武蔵野における中野の風土と人々の暮らしということを基本のテーマといたしまして、中野に生きた人々の歴史と民俗を紹介しているものでございます。区内で出土いたしました旧石器・縄文・弥生時代の土器、弥生時代のジオラマ、宝仙寺三重塔の模型、お囲いの関係資料、江戸時代の農家、かまど周りの復元、戦前・戦後の資料など、それぞれの時代の各種の資料を展示しております。
○加藤委員 ここ数年の、歴史民俗資料館の入館者数は何人でしょうか。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 歴史民俗資料館の直近3年間の入館者数でございますが、平成26年度が3万6,354人、平成27年度が3万5,363人、平成28年度が3万3,757人でございます。
○加藤委員 ちょっと実際に訪れると、そんな3万人規模いるのかなというようなところを感じるところですけれども、恐らく団体で来られるのかなというところではありますけれども、よくいらっしゃるような団体とかがいれば教えてください。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) まずカウントにつきましては、入り口にセンサーが設置されておりまして、来館の際にセンサーが感知した件数を、出と入りがありますので、2で割って算出しているものでございます。また団体につきましては、平成28年度の歴史民俗資料館の利用団体が230団体ございまして、小学校の社会科見学が21校、保育園・幼稚園が10園、デイサービス事業所が125所、その他の団体が74団体の利用がございました。
○加藤委員 小学校、かなりのところが来ているということなので、冒頭に挙げましたとおり、なおさら郷土愛が育まれるようなリニューアル、そしてまた、せっかくリニューアルするのであれば、入館者数がふえていただきたいなと思いますが、リニューアル後の目標人数などが定まっておりましたら教えてください。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 今回のリニューアルに当たりまして、現時点では具体的な目標人数は設定はしておりませんが、より多くの方に御来館いただける施設にしたいというふうに考えてございます。来年度、再整備計画の策定を進めていく過程で、目標人数の設定についても検討していきたいというふうに考えてございます。
○加藤委員 そうしましたら、リニューアルする展示内容について触れさせていただきます。ちょっと話が長いので、すみませんが、語らせていただきます。
私がこの区議会に入って初めての一般質問のときに、犬大好き、犬公方の5代将軍徳川綱吉公がつくった生類憐れみの令のシンボルである犬小屋が現在の中野区の中心にあったことは、大人になってから、大学生とかになったときに、おまえのまちの名物は何かみたいな話を聞かれたときに、犬小屋がありましたなんて言うと、何か、ああ、あの犬小屋かみたいな感じで、かなりばかにされたりすることもありました。そういったところを私が黒歴史だと、中野区の黒歴史だと認識して20代ぐらいまで過ごしてきましたけれども、最近のそういった歴史研究によりましては、当時、切り捨て御免などという言葉が物語るように、応仁の乱から続いた戦国時代、安土桃山時代、そして江戸時代、大坂夏の陣、島原の乱まで続いた戦争が、人を殺すことを、あやめることを何とも思わないという日本人の感性をつくりあげてしまったということが言われています。
そういった中で綱吉は、生類というのは人間を含めており、特に子ども、老人に対して迫害があった社会情勢下において、人権擁護の観点からそういった生類憐れみの令をつくったということを言う歴史家がおります。生類憐れみの令は1684、5年ぐらいから130ぐらいの法律群、法律の多くをまとめて言うものでありますけれども、犬に関しては1600年代の前半から野犬がまちじゅうにあふれかえっているという社会問題があったということで、そういった流れの中で犬小屋ができたというのが真実であるということです。生類憐れみの令は、日本人に殺すなんてとんでもないという人権擁護、動物愛護の感覚を育むために必要な条例であったという解釈があります。そういったところから、むしろ黒歴史から輝かしい歴史のシンボルである犬小屋であるというふうに、初めて立った議会で説明させていただきました。
そして、ことしの2月5日の区報裏面、これは許可を得てますけど、ここで裏面に小径・より道というのを書いてあります。ここで区長は、上高田の功運寺に墓所がある吉良上野介が歴史上の悪役にされているが、名君であったとの史実もあり、忠臣蔵のストーリー性が日本人の心情に受け入れられているという話に続けて、犬小屋の話に触れます。
同様に評判の悪い歴史上の人物が中野に犬小屋をつくった5代将軍徳川綱吉です。綱吉の生類憐れみの令も一般的に受け入れられている典型的な悪法という見方には反論が存在します。犬よりも先に孤児や病人を守るための令であり、福祉的な治世の先駆けだったというのです。犬小屋は廃止されても、福祉的な部分は江戸時代を通じて守られていたそうです。常識や先入観にとらわれず、物事を多面的に冷静に捉えることで、歴史をより深く楽しく学べると思います。区長・田中大輔。
そういったところで、区長にも同じ歴史認識を持っていただいているのかなと思ってうれしかったわけですけれども、区として全体として、これは区長1人の意見なのかもしれませんが、区としてはその辺の歴史認識をどのように捉えているのか、お伺いいたします。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 生類憐れみの令につきましては、徳川綱吉将軍が文治政治に着手する手法の一環として制定いたしまして、お囲いを設置したものと言われております。歴史的にさまざまな評価がございますが、見解の一つといたしまして、人権擁護や動物愛護の先駆けであり、治安の改善などの功績があった、そういった解釈が存在しているということは承知してございます。そういった多面的な解釈が存在するという点におきましても、綱吉とお囲いの歴史は中野の貴重な地域資源の一つであるというふうに認識してございます。
○加藤委員 また、それも先ほど言った一般質問の中で取り上げていたんですけど、今の桃丘あたりにありました桃園が日本初の公園みたいな話でしたけども、中野区が監修に携わっていると思うんですが、J:COMチャンネル中野の番組の「ピックアップなかの」第56回、2017年の12月1日から、ことし18年の1月31日まで放送していました「なかの公園物語」において、桃園は犬小屋の跡につくられて、その庭園が花見の名所であり、花見文化の形成に一役を買っている。明治以前に公園と呼べるものであったと言っております。これは非常に中野の歴史を語る上でありますし、誇りになると思えます。
過去のいろいろなものを見てきますと、区が徐々にそういった中野駅周辺の歴史輝かしいものであったという認識のもと、内容が徐々にそういう明るい感じになっているようにも感じられるわけですけれども、歴民に関してもそういったコンセプトでリニューアルしていただきたいと思うところではあるんですけれども、どのように御検討されていますでしょうか。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 御紹介のありました「ピックアップなかの」の素材につきましては区が提供しているものでございまして、当時の桃園における花見文化につきましては、明治以前に日本に公園と呼べるような場所があったというふうに認識してございます。
歴史民俗資料館が開館してから29年が経過しておりまして、リニューアルの際には中野の歴史の魅力をより感じていただけるよう、開設後に得た新たな知見の反映についても留意していきたいというふうに考えてございます。
○加藤委員 話は近代になりまして、1889年、中央線の前身である甲武鉄道は新宿から立川まで開業しました。東中野駅から立川駅までが27キロ程度ありますけれども、日本全国、現在のローカル線の中では、その直線距離は、新幹線を除いてローカル線では北海道1位、2位で、3位だと。東中野から立川が3位の長さだというふうに言われております。そのときの甲武鉄道の経営陣がえいやっと線を引いたということです。もともと甲州街道につくろうと思っていた中央線は、当時甲州街道沿いなので人がいっぱい住んでいたので、なかなかだめだということで、甲州街道の新宿南口のあたりから無理やり北のほうに行くというルートで今の中央線のところになった。そこには田畑が多かったということで、線路が引きやすかったということで、直線距離で引かれたというような話があるということです。
その後、甲武鉄道が1904年8月になると、今の市ケ谷と飯田橋の間あたりにあります飯田町という駅と中野駅の区間だけ電化、つまり汽車から電車にした。これが日本初の電車だそうです。中野駅が初めての電車の始発駅になるわけです。飯田町駅は今言ったようにないわけですから、今、中野駅は日本最古の電車の始発駅と言えるわけです。1919年になりますと、中野駅から東京駅はもう中央線で通っています。当時、下町だった秋葉原から上野の2.4キロぐらいなんですけど、これはなかなかつながらなかったということで、中野駅から中央線で東京へ来て、山手線の時計回りの東京、品川の南のほうへ行って、新宿へ行って、その後、池袋、田端、上野、こういった「の」の字の形で運行していた。つまり、中野から1本で上野に行っていた時代があった、そういったことがあります。そこの始発駅が中野駅であり、今、電車区がある、車庫が、今そんなフルに使われていないですけれども、そういったものがあるルーツなんではないかと推測するところであります。こういったところで、中野の電車の歴史だけで見ると、中野駅というのは非常に国鉄時代に、つまりJRの前身である国鉄のいろいろと発祥のものがあったということが言えます。
その後、陸軍省の電信連隊とか気球隊だったり、そういった最先端の技術がこの中野で育まれていったと。場所柄そういった最先端のものが置かれていったということです。
ということで、いろいろとこのJR中野駅周辺というのは、人権擁護、動物愛護、花見、公園、電車、通信、そしてつけ麺も入れれば、いろんな発祥、起源のものがあるということで、こういった中野の歴史をひもとくと、ほかにはない非常にすばらしいものがあるわけですが、そういったものも展示していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○永見健康福祉部副参事(文化・スポーツ担当) 中野には、他の自治体にはない歴史や文化遺産があり、それらを魅力として広く伝えていくことは、歴史民俗資料館の使命であるというふうに考えてございます。リニューアルに当たりましては、歴史的事実や解釈等について検証した上で、中野の魅力を十分に伝えることのできる展示内容を目指していきたいというふうに考えてございます。
○加藤委員 ありがとうございます。資料館の内容次第で、中野のふるさと自慢を小学生がしてくれるのではないかということで、その内容については非常に期待するところでありますし、郷土愛だけではなくて、都市観光資源にもなっていくということも考えられます。現在、中野サンプラザ、また新サンプラザでもですけど、あと新しい区役所とか、そういったところから展望を、中野駅を見おろすような形にできるような展望室ができるのであれば、またグランドレベルでもいいんですけど、AR技術によって犬小屋だったり、そういった日本初――ARというのは、携帯とかをかざして、現実の映像に対してデジタルの画像を重ね合わせる技術で、ポケモンGOなど、そういったところで使われている技術ですが、そういった技術を使って中野の昔からの歴史が見えるような、AR技術を使うことによって、そういった中野初のものがいろいろ見られるような形にしていく、そんな歴史が見えるコンテンツがあってもいいのかなと思います。
また、当時犬小屋があった四季の森公園で犬のイベントなどをやって、1日限りの復活、中野の犬小屋みたいな、そんなインパクトがありそうな事業を展開できるのかなという私見を申し上げさせていただきますけれども、そんないろいろアイデアが生まれそうですけども、区としては今後、都市観光施策としてどのようなことを御検討しているのか、お伺いいたします。
○藤永都市政策推進室副参事(都市観光・地域活性化担当) 中野の歴史をテーマとした観光施策についてでございますけれども、平成28年度の都市観光サイトのリニューアルにあわせまして、中野の歴史をテーマとするページを新たに作成してございます。このページでは、江戸時代を中心とした中野の歴史や文化を掲載して情報発信を行ってきたところでございます。今後につきましても、引き続き都市観光サイトを含む情報発信を中心に観光施策を行っていく予定でございます。
○加藤委員 中野駅周辺が先ほど言ったみたいに都市観光資源の塊だということを考えると、スタートを都市観光歴史散策コースみたいなので、歴史民俗資料館をスタートとして哲学堂とか、先ほどの功運寺とか、新井薬師とか、そういったもので、ゴールが中野駅周辺みたいな、そういったところでかなりいろんな密度が濃いというか、濃密な都市観光のコースになっていくのかなと思うんですけど、中野全体の都市観光の推進として、今後どのような方向性で考えているのか、お伺いします。
○藤永都市政策推進室副参事(都市観光・地域活性化担当) 中野駅から哲学堂公園周辺にかけてのエリアにつきましては、中野の歴史に触れることのできる歴史民俗資料館、また寺社仏閣、哲学堂公園のようなユニークな観光資源など、歴史の視点からも見どころのある地域であると認識してございます。今後につきましては、歴史民俗資料館のリニューアルや哲学堂公園の再整備などのハード事業にあわせまして、さまざまな関係者と協力関係を築きながら、歴史的な資源を活用した観光施策を進めていきたいと考えてございます。
○加藤委員 ありがとうございます。以上で私の全ての質問を終了させていただきます。いろいろと都市観光、今後もいろいろ資源があるので、やっていただきたいと思います。それでは、御清聴ありがとうございました。