加藤拓磨ヒストリー(加藤たくま になるまで)

~人格形成に大きな影響を与えたエピソードを中心に~

幼少期

  • ■体重3950gの大きな身体で誕生!
  • ■2歳、地元のスイミングスクールTAC(東京アスレチッククラブ)に入会し、小学校卒業まで水泳を習う。
  • ■今となっては信じられないが、一人遊びが好きな自閉症気味の性格であり、周辺を心配させる。

小学校時代

  • ■小2、早くも自分が理系であることを認識する。
  • ■小4、児童会役員選挙に立候補、人生初の選挙で当選する。
  • ■小5、母がプログラマーの職であることから、PCに関心が強く、当時(1990年)の小学生としては珍しく、タッチタイピング(ブラインドタッチ)とプログラム言語BASICの基礎を習得。
  • ■高学年、イジメを受ける。その原因は八方美人な性格だといわれる。

中学校時代

  • ■中1、八方美人=“広く浅い人間関係”の”浅い”ことがイジメの原因と考え、“広く深い人間関係”は可能か模索を始め出す。
  • ■水泳部入部、練習量がものをいう世界で、自己鍛錬(ルーチンワーク)を継続させるの厳しさを知る。
  • ■中2、生徒会副会長に当選、小5で学んだPCの知識で生徒会をIT化し、生徒会改革に努め、効率化を図る。
  • ■中3、NHKドキュメントや知人の話を聞いて、瀬戸大橋のような巨大構造物を作る土木技術者になりたいと思う。よい仲間と巡り合い、広く深い人間関係とは一期一会で時間を共有することで生まれると感じた。

高校・浪人時代

  • ■高1、“自由”が校風の高校、私服であったが自主的に制服を着ることで朝の貴重な時間を確保する日を作る。3年間、敢えて自分を様々な形で束縛することで自由とは何かを模索する日々。
  • ■高2、アメリカンフットボール部キャプテンとなり、監督・コーチなどの指導者がいない中、練習管理・練習試合のブッキングなどほとんどの運営を行い、マネジメントのノウハウを学ぶ。
  • ■漠然と政治家になりたいと思うものの理系であることから、頭の片隅に置いた。
  • ■高3、幸せとは”充実感”、そしてそれを得るには何事も全力で取り組むことが肝要であると認識する。同内容を卒業式の答辞で述べる。(学年全体の推薦で大学浪人予定者が卒業生代表となった)
  • ■浪人、早起きを習慣付けるため、朝マックでバイト、朝5時半起床し、10時に図書館に通う毎日。孤独な日々への耐性を養う。

大学時代

    • ■アメフト同好会に入り、肉体的な耐久度を身に付ける。しかし、朝マックバイト・勉学・練習・筋トレ・ミーティング、3時間睡眠で毎朝、鼻血出る体性に…
    • ■大1、学年全体を巻き込んでイベントを開催する。
    • ■大3、様々なイベント・飲み会の幹事を行い、こういう役回りを続ければ、楽しい人生になるかと思っていたが、大学教授に「大学生なら、勢いでグループをまとめられるが、社会に出たら知識がなければまとめられない。もっと勉強しろ!」と一週間言われ続け、勉強・研究に注力する。
    • ■大4、研修室に配属、知識・能力・経験不足のため、研究室に住民票を移した方がよいと思われるくらい寝泊りをする。(助手を終えるまで)精神的な耐久度を身に付け始める。

大学院時代

    • ■脳内のシナプスという構造の存在を知る。シナプスは過去に行ってきた知識・経験が繋がる、いわゆるヒラメキが現れるときに活発化する。アイディアにはヒラメキは必要、つまり多くの知識と経験が必要であるため、あらゆる体験することを決意。以後、他人から頼まれたことは初めての経験であれば、絶対に断らない。
    • ■教授も認める貧乏研究室、少ない研究費でどれだけ面白い研究ができるか考える日々。現在においては、どれだけ税金を使わずによい効果を生み出せるか、その考えの基盤となる。
    • ■九中の同窓会を開催。開催に先立ち、同級生の連絡先3人しか知らなかった状態から半年で90人とする。
    • ■ゼネコンへの就職希望もあったが、自分で問題を発見し、解決する研究(仕事)が好きになり、博士課程へ進むことを決める。

大学助手時代

    • ■同時に4編の論文を覚醒したともいえる神がかり的なスピードで完成させたものの、後遺症で数日タッチタイピングができなくなる。自分の限界は脳機能が停止するときと理解する。
    • ■教授に怒鳴られ過ぎで耐性がつき、怒られている自覚がなくなる。しかし、ある方から「加藤君はこんなこともできないのですか」のお言葉に続き、10分間の沈黙。一番怖い説教は、怒鳴りではなく、呆れられることであることを知る。
    • ■研究者の仕事は、世のグレイを白黒に分けること、そして世はグレイばかりであると理解する。グレイであるために問題が発生しているならば、自分で調べ上げて白黒付け、ルールを作ればいいという発想を持つ。
    • ■ゲリラ豪雨、地球温暖化、ヒートアイランド、打ち水、洪水、渇水、水質、生態、景観など水に関わる研究。現場観測、実験、数値シミュレーションなど様々な手法で現象を分析する。諸問題に対して様々なアングルから分析し、解決しようという感性を持つ。

役人・シンクタンク時代

    • ■ある多額の税金が必要な施策案の費用・効果が妥当であるか、さらによい案はないかなどを調査・研究する研究所に配属する。常に基本的人権、公共性の担保などを勘案しながら、上司たちと毎日4時間は口喧嘩をするがごとく議論をする日々。徹底した議論は、施策は思い・気持だけではなく、論理的に展開されなければならないと、強い信念を持つようになる。
    • ■九中大同窓会を開催。500名の関係者が集まる。
    • あおいちゃんを救う会を通じて、説明責任を果たすことで批判がなくなっていくことを実感。何をするにしても自分の信念、事業の妥当性をしっかりと説明することが重要であることを理解する。
    • ■大量の仕事、限られた時間の中でスピードと精度の兼ね合いを学ぶ。ひとつひとつの仕事が終わるたびに一喜一憂していては大量の仕事をこなせない。感情の起伏を抑えることが肝要。

議員になるまで

    • ■ある事件から死の危険を感じ、今死んだとしたら人生後悔すると思い、高校時代に漠然と思っていた夢を追うことを決意。
    • 株式会社でん六の創始者であり、私の曾祖父の鈴木傳六(でんろく)が山形県議会議員であることを祖母から聞き、私にも政治家の血が混じっていることを知る。