続きまして、2、中野が誇る歴史の検証について入らせていただきます。
ことしの新人議員の中で唯一、中野区立の小・中学校を卒業した私が、社会に出て大好きな中野のまちのことを説明するとき、人情があり温かい、主要駅へのアクセスが便利など、さまざまな点を挙げます。しかし、中野の歴史について問われると、徳川5代将軍、犬公方綱吉公がつくられたお犬屋敷が中野駅北口にあったということを恥ずかしげに説明してきました。私は、この中野の過去を中野の黒歴史、中野の自虐史観と言ってきました。これは生類憐れみの令が悪法であるという国民全体の共通認識に起因します。
しかし、近年、生類憐れみの令は綱吉公の後に江戸幕府で実権を握った新井白石が自分の評価を高くするために悪いうわさを流したという説などもあり、決して悪法ではなかったという解釈も出てきています。平成24年度、扶桑社の中学校の歴史教科書では、「5代将軍綱吉は、武士たちが殺伐とした行動に出ないように、生類憐れみの令を発して、子どもや病人を捨てることを禁じ、犬から虫にいたるまでいっさいの生き物の殺傷を禁じた」、平成28年度の育鵬社では、「綱吉の出した生類憐れみの令は、人々の生活を圧迫しましたが、捨て子の禁止や動物愛護など、生命や自然を尊重するという道徳の定着をもたらすという意義がありました。」とあり、戦国時代から是正されない武士たちのモラルの悪さを直すために、人間を含めた生き物に対する擁護策として生類憐れみの令ができたということです。人権擁護、動物愛護の法律と言ってもいいものでした。その中で、中野にあった犬屋敷というのは、生類憐れみの令にとってシンボリックな施設であると言えます。そして、その事実を強く言える、また言っていかなければならないのは中野区だと思っています。
また、その犬屋敷がなくなった後、8代将軍吉宗が桃の木を植樹し、桃園をつくりました。小学校名にもなっている桃園です。私の出身中学校の九中の校章は桃の花でした。中野と桃には深い関係があります。そして、その桃園は吉宗によって一般開放されました。これは、当時、高い壁に囲まれたプライベートな庭園しかなかった時代に、日本初の一般人も入れるパブリックな庭園を開設したということです。中野区役所、サンプラザ、セントラルパークを含むこのエリアは、犬屋敷、桃園、陸軍中野学校、警察大学校と、その時代とともに変遷しており、中野にはすばらしい歴史があり、これらは中野区民が中野を好きになれる歴史事実であると思います。
そこでお伺いしたいのですが、これら囲町周辺の歴史事実は中野にとって大きな誇り、また観光資源となり得るものでありますので、改めて歴史の検証をしていただき、それら情報の広報や、新しい解釈を加えた看板設置などをしていただけないでしょうか。また、小学校、中学校の授業、例えば小学校3年生で用いられている副読本「わたしたちの中野区」などでその事実を学ぶような授業を取り入れてはいただけないでしょうか。ほかの自治体では、ゆるキャラ、B級グルメなどをつくり、みずからのまちの魅力を引き出すために躍起になっておりますが、中野区は全国的に見て裕福であるためか、積極的ではなく見受けられます。本件に関しては無理やりひねり出すものではなく、中野が本来持つ魅力を素直に引き出すものです。ぜひ御検討していただきたいと思います。以上、答弁を求め、この項目の質問を終わります。
7ページ目:「3、中野の地球温暖化の実態について」